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写真・図版
大和証券・神戸支店の鶴野哲司さん=神戸市、高野良輔撮影

 営業一筋、50年以上――。大和証券神戸支店の鶴野哲司さんは、75歳の今もスーツに身を包み、現場を走り回っています。キャリアに区切りをつけて故郷に戻るかどうかの岐路に立たされたのは50代の終わり。「営業職の道をきわめる」選択肢へと背中を押したものは、なんだったのでしょうか。

 入社は1973年。以来、個人の顧客と向き合ってきた。資産運用の相談にのりながら、株式や債券の販売をしたり、相続の相談を受けたりと、業務は幅広い。

 電話だけでなく、電車とバスに乗って直接顧客に会いに行くことを大切にする。それを積み重ね、話に耳を傾けていると本音を打ち明けてもらえ、思わぬ要望が見えてくる。提案が実って資産が増えたり、悩みを解決できたりした時の喜びは大きい。

 「信頼をしてもらい、誰よりもよく、深く、お客様の話に耳を傾け、ニーズをくみ取って提案することを大切にしてきた」と鶴野さんは振り返る。

止まった電車 自転車を押して顧客のもとへ

 そう考えるようになった原点は、1995年1月の阪神大震災での経験だ。

 神戸支店に配属されて2年後のことで、当時45歳だった。早朝、兵庫県西宮市の社員寮で営業のリポートを書いていた時に大きな揺れに見舞われた。道路は地割れでガタガタになり、電車も止まっていた。

 仕事ができる状況ではない。営業の統括をしていた鶴野さんは、1週間ほどかけて神戸支店の社員の安否を確認して避難所などを回った。社員の無事を確認した後、次の行動を決めた。

 「お客様に1人残らず、一度会おう」

 リュックに水とタオルを詰めて、自転車を押して歩きながら、全ての顧客の自宅を訪ねた。通い慣れた家がつぶれていることも少なくなかった。担当する顧客は、2人が亡くなった。

 顧客と顔を見合わせると、互いに悲しみを分かち合った。もちろん、仕事の話はなし。ただ、これまでにないほど距離が近づいて話ができたことで、自分本位ではなく、顧客の立場で考えることの大切さを痛感した。徐々に顧客の本当の要望が見え、それに添った提案ができている感覚が芽生えていった。

震災から2年 支店にサプライズ

 震災から2年ほど経ち、落ち着きを取り戻し始めた頃、神戸支店にうれしいサプライズが広がった。顧客からの契約金額が、支店の過去に例がないほど膨らんでいたのだ。鶴野さんは「私だけでなく、支店の全員がお客様に寄り添う大切さを痛感した出来事だった」。

 神戸支店にいた40代は、個人営業だけをしてきた自分のキャリアについて悩んだ時期でもあった。だが、20年以上やってきた個人営業の道を極めようと心に決めた。

 震災から3年後に梅田支店への転勤を命じられ、その後も転勤を繰り返しながら、当時の定年である60歳が近づいてきた。

 定年後は故郷の宮崎県に戻っ…

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